□ 書評 BOOK REVIEW


若森栄樹『日本の歌 - 憲法と署名の権力構造』河出書房新社 2,600円

日本なるものの見えざる中心

藤田博史
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 かつて、高校生や大学生たちが過剰な国家権力に対して敏感なアンテナをもち、体を張ってその脅威に立ち向かった時代があった。学生たちは必然的に本を読み、執拗にものを考え、潔く行動した。今日、時代は変わり、そのような学生の姿も見られなくなったが、だからといって過剰な権力を生み出す構造がなくなったわけではない。
 著者若森栄樹氏は本書においてこのことを再認識させてくれる。「日本国民」という概念を規定する日本国憲法が、ある見えざる権力を前提として成立していることをわたしたちは普段忘れている。氏は日本国憲法そのものが天皇の名において「公布せしめ」られていること、わたしたちが民主主義と信じている現体制も実は立憲君主制にほかならず、国民主権を謳う条文内容が、実はその条文を保障する更なる高次の主権(主体)を前提としているという事実を改めて指摘し、確かな語り口で読者に警告する。
 本書の副題「憲法と署名の権力構造」が示すように、著者は日本的なるものを規定する権力が憲法を「公布せしめ」ている天皇の署名の場所から生じていることを指摘し、この署名が憲法というシステムの外部から「構造的」にこれを保障していることを明らかにする。日本国民を主権の位置に据えて国民主権を謳う日本国憲法が、実は天皇の署名なき署名「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」によって保障されているという恐るべき事実がここにある。たとえば憲法第一章第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」という言表には、その内容とは裏腹に、この言葉が発せられている特権的な場所があり、この「場所」は天皇の声なき声、署名なき署名(御名御璽)によって占められているのである。御名御璽とは「天皇が署名した、ということを臣下が示す署名」であり、注意深い人ならこれが取りも直さず日本という共同体における国民と天皇との共犯関係の表明になっており、それと分からない形で日本国民に見かけの主権を、天皇に真の主権を与える巧妙な装置になっていることに気づくだろう。憲法の前文や本文に対して次のような文章が先行していることは殆ど悪夢に近い。「朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢および帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽 昭和二十一年十一月三日 ……」(傍線藤田)。若森氏は次のように指摘する。「この文章は(帝国憲法に対し)権威 auctoritas そのものに変更が加えられたのではなく、ただ単に憲法法典内容の改正がここでなされたのだ、ということを示している。したがって現憲法典内容がいかに国民主権を定義しても、国民の権利と天皇の個人的権利が矛盾した場合、必ず天皇の権利が尊重されることになるだろう」と。つまり日本の憲法が天皇を auctoritas としている以上、天皇は訴訟の対象とはなり得ず、天皇は殺人を犯しても法によって裁かれることはないということになってしまうのである。

・群像(講談社)1995年10月号(第50巻第10号)324頁に掲載


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