□ エッセイ ESSAY


ベクシンスキ試論ー精神分析の視点から

藤田博史
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1、はじめに

 ベクシンスキが、自分の作品にタイトルをつけず、他者の評価や意味づけをも嫌う風変わりな画家であったことはよく知られている。彼は、「アンチ・インスピレーション(逆の閃き)」(1)を受けてしまうからと、他人の絵を見ることにも消極的であった。にもかかわらず、ベクシンスキの作品に心を動かされた人たちは、そこに描かれているものに興味を持ち、特別な意味やメッセージを読み取る誘惑に負け、解釈し、語り、そしてそのことが翻ってベクシンスキの機嫌を損ねてきた。
 本稿の目的は、このような流れとは別の所で、作家とその作品に対して、精神分析的な観点から、客観的かつ構造的な俯瞰を与えてみることにある。したがって印象に基づいた解釈や内省に照らした意味づけからはできる限り遠ざかることを旨としている。興味深いことに、他者の意味づけを嫌ったベクシンスキも、精神分析に対しては肯定的な考えを抱いていたようである。71歳の秋、親交のあったパリ在住のポーランド人画商ピョートル・ドモホフスキに宛てた書簡のなかで、彼は次のように書いている。

「私は35歳のときに、本当の自分らしきものを発見しました。シリーズものの絵の一枚を描いているときです。突然、私はある発見をしました。それは私のうえへ舞い降り、聖パウロのような光(the light like St. Paul)を目の当たりにしたのです。ー中略ー 60年代の初めにあの内面の光を体験したのち、私はフロイトの精神分析というのは人々が思っているようなばかげたものではないと信じるにいたりました」(2000年10月21日にドモホフスキに宛てた書簡、丸括弧内は引用者による補足)(2)

 「聖パウロのような光」という表現は、すぐさまイタリア・バロック絵画の先駆者カラヴァッジオの『聖パウロの改宗』(連作)を思い起こさせる(3)。この「聖パウロのような光」が何であったのかは後に見るとして、少なくとも精神分析に対して彼なりにポジティヴな理解を示している。さらに興味深いのは、ベクシンスキ自身がドモホフスキのインタヴューに答えて、自らの創作活動の原因と目的について、精神分析的とも受け取れる発言をしていることである。

「私はかつて絵を描き始め、今も描いていて、これからも描き続けるだろう。これは二つの理由からだ。第一は原因(cause)、第二は目的(aim)。原因は、私がもっともわかっていないもの。それはミステリアスで、私の幼少期の闇の中に失われている。さらに私は、子供時代のごく初期から、私の想像の中に現れてくるものならなんでも描きたいという衝動に駆られていたのではないかという気がしている。反対に、目的は、部分的には絶望、部分的にはシニシズムから成っている。絶望というのは、それだけが絵の中に私を具現化することで死に打ち勝つための、私が自由にできる唯一の方法だからである。」(「指紋を残すように描く」、丸括弧内は引用者による補足)(4)

 この短い文章のなかに、ベクシンスキの創作の秘密の核ともいうべき、いくつかの要点が書かれている。彼は、自分が絵を描く「原因」について「もっともわかっていないもの。それはミステリアスで、私の幼少期の闇の中に失われている」と表現する。これは取りも直さず精神分析の基本的な思考法にほかならない。彼自身、その失われたものについて強い興味があったに違いない。もし彼が適切な精神分析家のもとで自己分析を行なっていたならば、彼の人生は幾分違ったものになっていたかもしれない。
 フランスの精神分析医ジャック・ラカンは、自我の基本機能の一つとして「無知 méconnaissance」を挙げ「自我は自らを運んでいる真の欲望について根本的に無知である」という構造的な不可知性を指摘した(5)。自我の活動を根底で運んでいるものについて、自我自身が気づく手段があるとすれば、それが精神分析である。精神分析的な視点は、ベクシンスキ自身が指摘している創作の「原因」のみならず、第二の「目的」についても踏み込んでゆくことができるだろう。
 ここで敢えて、これら二つの重要な点について、精神分析的に想定される回答を最初に示して、読者の注意を喚起しておきたい。すなわち、ベクシンスキのいう「原因」とは「サド-マゾヒズム的欲望」であり、「目的」は「サド-マゾヒズム的欲望に対する強迫神経症的防衛」である。なぜそうなるのか、見てゆくことにしたい。

2、サド-マゾヒズム的欲望とその神経症的防衛

 ベクシンスキはドモホフスキに宛てた手紙の中で「私の内的欲求とは、打たれ、侮辱され、虐待され、殺されること」(6)と胸の内を語り、さらに「もっと弱々しくなって、女性からいじめられたり殺されたりしたい、という欲望は、潜在意識の中に追いやられなければなりませんでしたし、実際追いやられました」(7)と自らの内なるマゾヒズム的欲望について赤裸々に書いている。実際「聖パウロのような光」を体験した35歳頃より、倒錯的な欲望に目覚め、いわゆる「サドマゾ・ドローイング」と呼ばれる作品を次々と制作していった。
 一般に、精神分析理論では、性倒錯的な欲望の根底には「去勢の否認 déni de la castration」という心的機制があると想定されている。倒錯者は、幼少時に「母の大切な場所にペニスがない」という現実を受け入れることができず(現実の否認 déni de la réalité)、空想のなかでペニスを補っている。その補い方によって、フェティシズム、サディズム、マゾヒズムなどの違いが生じている。
 フェティシズムの場合、ペニスの代理物は、空想によって母の欠如の場所に与えられている。ペニスの代理物すなわちフェティッシュは、欠如を覆い隠す一種の覆布として、性器に近接する対象へとずらされている。すなわち下着、ストッキング、靴、あるいは脚そのものといった形で無意識のうちに対象選択されている。
 一方、サディストやマゾヒストでは、去勢の否認によって「欠如なき他者(=完全な他者)Autre complet」という空想が生じている。この「欠如なき他者」を保証するために、欠如が生じるはずの場所に、本来あるべきペニスの代わりに、自らの身体を置くことで、他者の欲望充足(=享楽 jouissance)に奉仕している。いい換えるならば、サディストもマゾヒストも共に「他者の享楽に身を任せるもの」つまり「他者の享楽の道具 instrumemt de la jouissance de l'Autre」(8)になっている。この倒錯的な享楽を生み出す心的駆動力が「死の欲動 pulsion de mort」である。「死の欲動」は、あらゆる生命に必須の「生の欲動 pulsion de vie」とは逆に、他者から主体に向かっている。ちなみに、人間においてこの「他者 l'Autre」とは、知の全体つまり言葉によって構築された象徴的な他者である。
 サディストとマゾヒストを区別するものは、主体が所属する身体の違い、つまり「自分の身体」であるか「他人の身体」であるかの違いである。死の欲動が、他者から「自らの身体」に向かえばマゾヒストに、「他人の身体」に向かえばサディストになる。両者は「死の欲動が他者から身体に向かう」という基本構造が同じであるから、相互に交代したり共存したりすることが可能である。
 さてこここで、もしサド-マゾヒズム的欲望を抱えた自我が、現実的な禁止の法や権威の存在によって、内なる欲望の充足を遂行することができなかった場合、自我はどのような態度を取ることができるだろうか。そのような態度には二つの場合がある。一つは外的な法や権力に怯むことなく、内なる欲望に従ってサド-マゾヒズム的行為を実行することである。もう一つは、サド-マゾヒズム的な行動を回避する道である。この場合、自我は「欠如なき他者」の場所から離脱し、逆に他者に欠如を生じさせ、その欠如(=欲望)を埋めるための対象、つまり他者の欲望の対象へとシフトする。つまり、他者の欲望の対象へと自らを移動させて、自身を独立したファルスとして復権させるのである。その代償として、自我は「他者の欲望の対象としてのファルスそのもの」となり、他者からやってくる反復強迫(強迫行為、強迫観念)によって自己規定されることになる。一般に、強迫神経症者は、幼少時に母(=他者 l'autre)の過剰な愛情を受けており、自らを母の欲望の対象である想像的なファルスと同一化している。そこで内在化された母の執拗な欲望が、意味づけすることのできない不合理な観念や行為として強迫的に反復され具象化されている(強迫観念、強迫行為)。
 ベクシンスキの場合にも、このような愛情関係があったのではないかと想定される。「子に対する母の過剰な愛情」と「母に対する子の過剰な愛情」の凄まじい欲望の交流。このような想像的情念の交流は、鏡像的な自我イメージが形成されて言語の獲得へと繋がってゆく時期(鏡像段階 stade du miroir、一般に生後6か月~12か月の間に相当)に活発になると考えられている。このような過剰な欲望の交流のなかで、まずイメージのなかでの母の切り離し(想像的去勢)が生じるのであるが、倒錯者の場合にはこの切り離しが不完全なまま「去勢の否認」が生じている。そこからサド-マゾヒズム的欲望が発生し、この欲望を内に秘めたまま潜在期(5-10歳頃)を過ごし、思春期(11-18歳頃)を迎える。ところがそこで社会的な危機や権威的な父の存在などの抑圧的な要素が存在すると、自我は倒錯的欲望の充足を断念せざるを得なくなり、自らが他者の欲望の対象の位置へ移動して、強迫神経症的な防衛体制に入る。ベクシンスキ自身「自分の芸術はその頃(30代後半ー引用者註)から明らかに偏執的なもの paranoid となり、ある種の強迫的な圧力 compulsive pressure 下で制作されるようになった」(9)(英単語は引用者補足)と語り、マゾヒズム的な欲望は「潜在意識の中に追いやられなければなりませんでしたし、実際追いやられました」(10)と述べている。その後、彼のサド-マゾヒスティックな「視的欲動 pulsion optique」は防衛され、写真や絵画表現へと変換されてゆくことになる。
 先に挙げた「聖パウロのような光」という「視覚体験」は、おそらくこの「視的欲動」がベクシンスキの脳裏にサド-マゾヒスティックなインスピレーションの形で具象化されたことを物語っている。つまり35歳にして視的欲動に対する強迫神経症的な防衛に目覚めたのである。ここに認められるのは内なる倒錯的欲動とその神経症的防衛の対立である。この二つは厳密に区別されるべきものであるが、興味深いことに、ベクシンスキ自身「性的な空想と性的な衝動は二つの違うものだ」とドモホフスキに宛てた書簡のなかで述べている(11)。精神分析の文脈に置き換えるならば「性的な空想」とは「強迫神経症的防衛」であり、「性的な衝動」とは「倒錯的欲動」にほかならない。結局のところ、ベクシンスキが、絵を描く「目的」が絶望やシニシズムから成っていると表現せざるを得なかったのも、このような欲動行使の断念が根底にあったからであろう。誤解を恐れずにいえば「本当の目的は絵を描くことなんかじゃなかった」のである。
 このように、精神分析的視点は、わたしたちがベクシンスキの絵画の秘密について「知りたい」と考える時、闇夜を照らす一筋の光となる。無論、このような光もベクシンスキの世界を「味わいたい」と望んでいる人にとっては余計なお節介でしかなく、この論考も意味をなさないのであろう。ここにあるのは二つの異なる態度である。本稿では精神分析的な「知る」という基本姿勢を遵守し、彼の芸術作品が、内なるサド-マゾヒズム的欲望が抑圧され、行為化されることで具象化した反復強迫的なイマージュ群であると推論している。もし言語化され得る欲望であったならば、行為化される必要もなく、彼は絵を描かずに済んだのかもしれない。しかしながら実際は言語化不能な欲望ゆえに、描かれた作品を改めて言語に置き換えることなど、つまり命名したり意味づけたりすることなど、ベクシンスキにとってはまったく興味のないことであり同時に不可能なことでもあった。

3、ベクシンスキの作品に通底する基本構造

 強迫神経症的防衛によって生じたイマージュ群の根本的な特徴は「それらが本当は何を意味するのか作家自身にとって不明である」という点にある。すなわち、イマージュは思考を介することなく次々と画面に立ち現われてくる。ベクシンスキは次のように書いている。

「「空虚をどうしようか?カラヴァッジオのように黒のままにしておこうか?ターナーのカンヴァスのように色とりどりの靄で埋めておこうか?あるいは想像上の対象でも置こうか?」と。私が、この三番目の誘惑に身をゆだねると、待ってましたとばかりに頭蓋骨や棺や蛇や魔法使いがいっせいに登場し、私の絵の空いている隅にそれぞれ集まって「空無の恐怖」(horror vacui)という例の感覚をそこに作るというわけである。」(ベクシンスキ「指紋を残すように描く」)(12)

 身体の内部から沸き起こってくる死の欲動に対して、神経症的な自我が取り得る手段は、その欲動の行使を、別の行為に変換することによって防衛し、画面上へイマージュ群として具象化させることである。その結果、描かれるイマージュには死(の欲動)の「痕跡 trait」が刻まれている。それらの痕跡は、思考を回避して成立したものであるから、死の隠喩 métaphore(意味 sens)ではなく、徹底した換喩 métonymie(形式 forme)の連鎖になっている。それゆえ、作家自身はイマージュの意味に関しては意外なくらい無頓着である。ところが、作品に心を動かされた鑑賞者は、換喩的な形式を隠喩的な意味と取り違え、描かれているものには特別な意味があると考え、個人個人の内的な経験に照らして思い思いの解釈を与えてしまう。描かれているオブジェがどれほど具体的で、鑑賞者の心に様々な連想を喚起したとしても、それらはベクシンスキにとってはどうでもよいことである。つまるところ、様々なオブジェたちは、空間を埋めるための形式に過ぎない。
 さらに、ベクシンスキには空間を埋めるための形式がもう一つある。それが音楽である。音楽は、こういってよければ時間を含む四次元的な欠如を補填するための形式として機能する。彼はインタヴューのなかで次のように語っている。

「1950年代初頭、クラクフの建築学の若い学生だった私は、昼間の音楽会で生まれて初めてシマノフスキの交響曲第三番を聴いた。このときのことを今でも覚えている。呆然としてしまった私は、コンサート会場に、二年間節約して買ったカメラを忘れてきてしまったほどだった。それから数年間というもの、このときの印象と眩暈がなお私から離れなかった。絵と交響曲との間に、私がどんな対応関係をつくっているのか知りたいだろうか?私はこの二つに同じことを要請しているのだ。私を忘我状態にしてくれるということだ。芸術とは、名づけられないままであるものーーたとえそのか細い残響にすぎなくてもーーを私の内に惹き起こしてくれるヴィジョンを手探りで探求するひとつのやり方だ。そして、私をそういうものにいちばん近づけてくれるのが、19世紀後期および20世紀初頭の音楽なのだ。私は、自分の絵の中に、好きな交響曲の構造と同じ構造を確立したいという欲望があるのだが、私の音楽とのきずなは、この欲望からやってくるのである。」(ベクシンスキ「心の中に、瞼の裏にみつける」)(13)

 シマノフスキの交響曲第三番「夜の歌」は、単一楽章の合唱交響曲で、後にベクシンスキのお気に入りにもなったスクリャービンの楽曲を想起させるような神秘的な作品である。暗く荘厳な管弦楽と合唱との組み合わせは、ベクシンスキ絵画の画面構成そのものを連想させる。おそらくベクシンスキにとって、無音の空間は耐え難く、空虚な画面は放置し得ないものだったのだろう。空間にせよ平面にせよ、空虚なスペースがあると、それが他者のなかの「欠如」となり、開いた穴から生(なま)の主体 Sujet brut が浮かび上がってくる。それを食い止めるために、彼は音や色や形といった形式(=シニフィアン)によって穴を塞がなければならない。すなわち生の主体を再び穴のなかへ閉じ込める(再去勢する)営みとして反復強迫が出現する。具体的には、静寂を打ち消すのに充分な音量の音楽を何度も繰り返し聴くことによって聴覚的欠如を補填し、そこで喚起されたイメージをいくつも描くことによって視覚的な欠如を補填するのである。ここで重要なのは「強迫的に何度も反復される」ということである。こうして何枚もの画面の上に死(の欲望)の換喩であるイメージの連鎖を描き出してゆく。大音量の音楽を聴きながら画面に向かっているベクシンスキの姿は、あたかも空間の裂け目から反復して襲いかかってくる生の主体に、絵筆という剣をもって立ち向かい続ける騎士のようである。ここで行なわれているのは聴覚的、視覚的空虚(欠如)に対する自我の強迫神経症的補填である。

4、描かれたイマージュの特徴

 先に述べたように、ベクシンスキの絵画に描かれているイマージュ群は、その具体的な相貌とは無関係に、神経症的防衛によって形式化された死の欲動である。したがって、画面のなかに描かれている夥しいオブジェは「死の欲動の換喩 métonymie」として捉えられなければならない。それらは換喩であるがゆえに、形式的、反復的、断片的、連鎖的で、空白を埋め尽くそうとする補填的な傾向をもっている。またそれらは死の欲動に対する神経症的な防衛であるがゆえに、死を表現しながらもそれ自身は空虚であるような換喩的モチーフが選択されている。したがってこれらのイマージュ群を精神分析の用語法に従って「シニフィアン signifiants」と呼び換えてもよいだろう。ちなみに、この換喩的な対象選択のあり方はフェティシズムにおける具体的なフェティッシュの選択のされ方と似ている。具体的なモチーフとしては、墓、墓地、墓石、顔、頭、窒息、死体、死体の皮膚、ミイラ、石棺、三日月形、十字架、死の島などがそれに当たる。この章では代表的なイマージュの特徴について見てみよう。

i) 墓:墓、墓地、墓場、墓石は死の換喩である。墓は、人がこの世から切り離されたこと(去勢)を告げる徴(しるし)であり、精神分析的には生(なま)の主体(S)が、斜線を引かれ($)て、象徴界から抹消されたことを示す「死の刻印」である。墓石は、大きな壁にもなり、椅子にも姿を変える。椅子の背もたれは墓石、座面と4本脚はその下で眠る死者へと連鎖する。従って座面に死者の首やミイラ化した上半身が乗っていても不思議ではない。さらに、晩年の作品では椅子が四つ足動物へとトランスフォームされているものがある。墓石のような安定した左右対称の構図もまた頻繁に採用されている。時に、石でできた巨大なオブジェが浮遊する光景が描かれるが、それらは地中の死者の視点から見上げた墓石の風景のようであり、かつ『死の島』(後述)が浮遊している光景でもある。墓はまた一種の建築物であり、そのモチーフは建築関係者であった祖父や父の権威およびその終焉というイメージへと連鎖している。

ii) 顔(頭):墓石は、人間にとっての顔や頭である。顔や頭部に対する執拗な拘りはファルス phallus(=勃起したペニス)への拘りでもあり、全作品を通して随所に見られる(14)。なかにはイースター島のモアイ像を想わせるような石と顔の融合もある。さらには、去勢の否認に対する神経症的防衛としての去勢願望が「断頭コンプレックス(エレーヌ・シクスー)」的表現つまり首から下だけの描写(断頭のイメージ)あるいは顔の破壊のイメージとして表現されている作品も少なくない(15)。逆に切り離された頭だけの描写も、死の欲動に対する神経症的防衛としての去勢願望の現われであり、やはり頻繁に作品のなかに見られる。また顔と息苦しさのイメージの重ね合わせも窒息死(=去勢)を連想させるものであるが、このモチーフもすでに60年代の作品から認められる。布片で塞がれた口、包帯で巻かれた頭部、そして窒息。窒息は埋葬されること、さらには腐敗のイメージへと換喩的に連鎖する。

iii) 死体:死体そのもの、もしくは死体の皮膚。皮膚は乾いたコルクのようにひび割れ、血管や神経は乾燥したミイラように浮き出し、罅(ひび)が入り、骨が覗いている。石と布のマチエールは石棺とミイラの包帯を連想させ、エジプトの、例えばツタンカーメンのすでに盗掘された部屋を思わせるような風景が出現する。あるいは大量虐殺が行なわれたカンボジアに残存する朽ちた遺跡にも通じるようなモチーフも散見される。死体のような人体に、明確な顔が描かれないのも、すでに述べた頭部への拘りの一表現である。

iv) 三日月形:墓石の上端のアーチ状の部分でもある。このアーチが三日月へと連鎖している。つまり、夜の墓場のイメージである。あるいは三日月形は断頭、殺害の道具としての鎌をも連想させる。アーチ、円弧、三日月の形象は作品の中に反復して描き込まれる基本的なモチーフの一つである。

v) 十字架:いうまでもなくキリスト(教)の換喩である。そして墓と死の換喩でもある。ベクシンスキの絵画では十字ではなくTの字形で描かれることが多いが、このTが愛息トマシュの頭文字でもあることも見逃してはならない。

vi) 死の島:ベクシンスキが子供時代に途方もない印象を受けたというアルノルト・ベックリンの『死の島』。原初的な風景として、『死の島』に描かれている白い人物、舟、海、門、樹木、岩、島などの構成要素は分解され、再構成され、様々な変形を施されてベクシンスキの作品のなかに繰り返し反復して描かれている。彼の絵画に描かれる基本要素の殆どはこの絵画の中に見出される、といっても過言ではないかもしれない。そればかりか『死の島』の5連作を傍らにおいて、改めてベクシンスキの作品を眺めてゆくと、すべてが『死の島』のバリエーション(変奏曲)ではないかと思われてくるほどである。精神分析的な観点からつけ加えておけば、海の中に浮かぶ島は、母の場所における空虚を補填するファルスとしてのオブジェ、つまり母の去勢の否認を表現しており、さらに、島は宙に浮き、海と切り離されて描かれることがあるが、これは去勢の否認によって生じた倒錯的欲望に対する神経症的な防衛(去勢)を表わしている。以上のようなことを念頭において、海が描かれた作品を眺めてみると、そこには顕在的にせよ潜在的にせよ、常にこの去勢の否認としての『死の島』のイメージが漂っているのがわかる。

 上記の様々なイマージュは、精神分析的にいえば「隠蔽記憶 souvenir-écran」のバリエーションとして機能している。重要なのは、現にそこに描かれているものではなく、描かれたものの背後にあるなにものかである。一般に、わたしたちは、幼児期の重要な体験を忘却し、一見無関係とも思える記憶の方を重視していることがしばしばある。フロイトはこのような記憶を隠蔽記憶と呼び、次のように書いている。

「幾つかの症例において、わたしは、わたしたちにとって理論的に非常に重要で馴染みの深い幼児期健忘が、隠蔽記憶によって完璧にバランスよく置き換えられているという印象を受けていた。隠蔽記憶のなかには、幼児期の本質的なものの一部のみならずその全てが保たれている。問題は単純に、分析によっていかに隠蔽記憶のなかからその本質的なものを抽出するか、ということである。夢の顕在内容が夢思想を表現しているのと同じくらい適切な形で、隠蔽記憶は忘れられた幼年時代を表現している。」(フロイト「想起、反復、徹底操作」、下線部は原文ではイタリック)(16)

 ベクシンスキの絵画が隠蔽記憶の機能を持っているとすれば、それは夢の思想が具体的な顕在内容に変換されるのと同じプロセスを経ていることになる。興味深いことに、ベクシンスキ自身、インタヴューに答えて「私の創造の最高の目的は、夢の撮影に成功することである」(17)と語っている。隠蔽記憶の本質的な定義としては、ラプランシュとポンタリスによるものが簡潔にして明快である。

「隠蔽記憶 souvenir-écran, Deckerinnerung ー 特別な鮮明さと内容が一見無意味なことの二つが特徴である幼児期の記憶。隠蔽記憶の分析によって、消し去ることのできない幼児体験と無意識的幻想に接近することができる。隠蔽記憶は、症状と同じく、抑圧されたものと防衛との間でなされる妥協形成である。」(18)

 つまり、ベクシンスキの絵画を構成するイマージュ群は、抑圧された倒錯的欲望と神経症的防衛との間でなされた妥協形成の産物なのである。いい換えるならば、無意識的な行為化による産物=隠蔽記憶=作品である。フロイト自身は幼児期の記憶と体験の関係について、論文「想起、反復、徹底操作」のなかで次のように述べている。

「特に強迫神経症の様々な形において、健忘というものは、その殆どが、思考の連鎖が解けてしまったり、正しい結論が引き出せなくなったり、記憶を孤立化したり、ということに限られている。ここでひとつ、想起することが通常不可能で最も重要で特別な種類の体験というものを挙げておく。それは幼児期のごく初期に生じた体験で、その時は理解できなかったが、後になって理解され、解釈されるというものである。ー中略ー 患者は自分が忘れてしまったり抑制してしまったものを思い出すのではなく、行動に表わす。つまり記憶としてではなく、行為として再生する。すなわち、彼は、自分自身がそれを反復していることを知らないまま、反復するのである」(フロイト「想起、反復、徹底操作」、下線部は原文ではイタリック)(19)

 そもそもサド-マゾヒズム的欲望は、身体に向かう行為として、言葉が意味を成さない次元で作用するものであるから、その欲望に対して命名することは構造的に不可能である。言語化可能であれば、最初から絵を描く必要はない。ベクシンスキにとって「本当の目的は絵を描くことなんかじゃない」にもかかわらず「どういうわけか絵を描くように仕向けられ」ている。つまり、サド-マゾヒズム的欲望を生み出した乳幼児期の体験は「隠蔽記憶を描く」という強迫行為によって防衛され、反復されている。

5,表現手法の特徴と変遷

 ベクシンスキが採用した表現手法は多岐に渡っている。主なものを挙げてみると、写真、ドローイング、モノタイプ、ヘリオタイプ、彫刻、レリーフ、絵画、フォトモンタージュ、コンピュータグラフィックスなどである。彼はもともと映画監督を志望して美大に合格していたのであるが「父親からのプレッシャーのせい」(20)で不本意ながらクラクフ工科大学建築学部に入学した。在学中から写真に興味をもち、卒業後は建築現場監督として働きながら写真やドローイングを手がけ、26歳の時にプロの写真家としてデビューした。個展では主に妻ゾフィアのヌード写真が展示されたが、そのなかで、妻ではない一人の女性が細い紐でぐるぐる巻きにされた写真が鑑賞者の注意を惹いた。紐を巻かれた裸婦が輪郭のぼやけた暗い窓枠のなかに収められた写真。ここにはすでにベクシンスキ作品の特徴である隠蔽記憶的な風景と倒錯的な主題が認められる。
 26歳になって故郷サノクに戻った後は、祖父や父が働いていた事業所に美術コンサルタントとして就職し、ペイント工場で社会主義を礼賛するプロパガンダ的横断幕を描く仕事を請け負ったりした。この頃のベクシンスキはデッサン、彫刻、レリーフ作品にも取り組んでいたが、父が他界すると、映画学校に行かせてもらえるという約束も破綻し、社会主義体制のなかで次第に映画への情熱も失せ、興味は芸術写真へと移っていった。この頃に撮られた写真の特徴の一つとして、頭部(顔)に対する強い拘りと攻撃性というものを指摘することができる。たとえば、顔を破り取られたポートレイト、頭部を破壊された子供の人形、頭部が切れたアングルの写真などがそうであるが、これらには内なる倒錯的欲望に対して、顔を破壊する、顔を画面から外す、という無意識的な去勢行為で応じていることが表現されている。
 興味深いことに、29歳の時に息子トマシュが誕生してから、大きなレリーフや彫刻作品を手がけるようになっている。レリーフや彫刻作品の出現は、撮る、描く、という平面的描写行為から立体的形象を作り出すという空間的創作行為への変化を示している。制作されたレリーフボードはあたかも墓から掘り起こされた残骸のようであり、彫刻は金属板で作られた人間、あるいは青緑色に表面を加工された石膏による頭の連作であったりするが、これは、墓を掘り起こしてすでに死んでしまった父を再生させる行為、つまり「父の機能 fonction du père」の再生を暗示しているように見える。これはベクシンスキのなかで「父であること être père」という重要なテーマが「子を為すこと」という創作行為に変換されたことを暗示している。つまりレリーフや彫刻は、父の機能の無意識的な再生と行為化であり、父的、ファルス的なオブジェの反復的再現となっている。然して、35歳で初個展を開くまでの彼の主要な表現技法は、写真、ドローイング、レリーフ、彫刻ということになる。
 実はこの35歳という年齢は、ベクシンスキの生涯において最大の転機が訪れた年齢である。先述の「聖パウロのような光」の体験を経て、彼の創作のベクトルは、ある確かな一つの方向つまり倒錯的な表現へと向かうことになったのである。精神分析的には、無意識的であった内なる衝動に対して神経症的防衛が作動し始めたことを告げており、逆にいえば、神経症的防衛に目覚めたことによって、初めて内なる衝動を実感として意識することができるようになったのである。実際、彼自身「私は、35歳のときに、本当の自分らしきものを発見しました」(21)と告白している。その後、表現手法の重点は絵画へとシフトし、43歳の時に、ワルシャワのコンテンポラリー・ギャラリーで独自の幻想的絵画を一挙に展示したことを契機に、ベクシンスキ絵画の真骨頂である「幻想の時代 Period of Fantasy」へと入ってゆく。この時代は「本当の自分らしさ」であるがゆえに安定し、結果的に晩年まで続くことになる。晩年には精力的にコンピュータ・グラフィックスによる創作にも打ち込んだが、デジタル的に手法が変わっても、作品の一つ一つが依然としてベクシンスキらしさを主張しているところが非常に印象的である。

6,バイオマニエリズム

 ベクシンスキの作品において画面に描かれたものは形式であると述べたが、この形式の表現様式を美学的観点から見ると興味深いものがある。ベクシンスキの作風は、しばしばエルンスト・フックスやハンス・ルドルフ・ギーガーの作品と比較されるが、彼らに共通する独特な表現様式を「バイオマニエリズム biomannerism」と呼び、類似の傾向をもつ作家たちを分類する試みがある。1997年に刊行されたオムニバス作品集『バイオマニエリズム』(エディシオン・トレヴィル)(22)では、ダニエル・ウィルレット、ミシェル・アンリコ、シビル・ルペルト、ジョー・ハックバース、大塚勉、ベクシンスキ、林良文、ジャン-マリー・プメイロル、H.R.ギーガーらがバイオマニエリストとして挙げられている。
 彼らの作品に共通するのは、エロス eros とタナトス thanatos、生命 bio と機械 mecha という対峙する二組の二つの次元の確執と融合の絵画的表現である。そこには死の欲動に対する強迫神経症的な防衛によって、細部の描写や幻想のリアリズム化が反復的に推し進められているという共通点がある。つまり「マニエリズム(形式・技巧) maniérisme」は「マンネリズム(形骸・反復) mannérisme」としても立ち現われている。彼らの作品相互のニュアンスの違いは、エロスとタナトス、バイオとメカの混合比率の違いによって生じている。例えば、H.R.ギーガーの作品は、ベクシンスキの作品に比べて、よりエロスに比重が置かれ、よりメカへとシフトしている。
 メカといえば、我が国では、1952年から雑誌『少年』に連載が始まった鉄腕アトムを皮切りに、ロボットやメカを主人公とする物語やアニメが親しまれてきた土壌がある。主なものを挙げるだけでも、鉄腕アトム、鉄人28号、ロボタン、ガンダム、エヴェンゲリオン等々枚挙に遑がない。海外のアニメでいえば1940年に公開されたディスニー映画のピノキオがその例であろう。また1966-68年にTBS系列で放映された『宇宙家族ロビンソン』という米国のテレビドラマでは、ユーモラスな仕草をするフライデーというロボットが登場した。近年では2001年に製作されたスピルバーグ監督の『AI』が生命と機械の間に横たわる壁の切なさを見事に描いていて印象的であった。
 これらのロボットやメカに見られる特徴は「メカが身体を志向すること」あるいは「メカが人間のように振る舞うこと」にある。したがってこれらを「メカのバイオ化」と表現することができるだろう。メカ(ロボット)が人に近くなり、人のように振る舞うことで、人間に接近し、人の心のなかに入り込んでくるというストーリーである。
 一方、これとは全く逆に、身体がメカを志向する「バイオのメカ化」と呼ぶべき方向がある。我が国のコミックやアニメでいえば、1964年に登場した「サイボーグ009」に始まり、脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化や義手・義足にロボット技術を組み込む義体化が登場する「攻殻機動隊」に至るまで、身体の一部を電子化や機械化するというテーマも数多く登場した。身体のレベルでいえば、タトゥーやピアシングなどの日常的なものから、ルーカス・スピラのように瘢痕 scar をアート化するスカリフィケーション scarification(23)、舌尖を二股に裂くスプリットタン split tongue 、あるいは皮下に異物を埋め込むインプラント implant に至るまで、様々な技法が存在する。
 ここで精神分析的な視点から二つの異なる方向の特徴について指摘しておきたい。「メカのバイオ化」が、無機物から有機物へという生の欲動(エロス eros)の神経症的ベクトルとすれば、「バイオのメカ化」は有機物から無機物へと向かう死の欲動(タナトス thanatos)の倒錯的ベクトルである。バイオマニエリズムとは後者の「バイオのメカ化」の様式であり、倒錯的な欲動によって理性を剥ぎ取り、生(なま)の主体を露出させる一つの作法 manière のことである。ここでいう生の主体とは、タナトスによって象徴的な鎧を脱がされた身体すなわち苦痛や受傷によって実感されるようなタナトス的身体 le corps thanatotique である。したがって、バイオマニエリズムの本質は、その外観がどんなにエロティック erotique なものに見えようと、その内実は優れてタナトティック thanatotique なものである、ということに留意しておく必要がある。

7,おわりに

 わたしたちが芸術作品を前にして取り得る態度には三つあるだろう。一つは思考を介することなく理屈抜きに「味わう」態度である。美味しい食事を楽しむように作品を楽しむ。そこにはどのような意味づけも、解釈も不要である。もう一つは作品や作家について「知る」という態度である。美味しい食事を口にして、どうしてこんなに美味しいのかその理由を知ろうとすることである。芸術作品を前にして、この作家はどのような作家なのか、どうしてこのような絵を描いているのだろうか、この絵画は何を意味しているのだろうか等々、知りたいという欲望が湧いてくる。そして三番目の態度は、一番目と二番目の態度の混合である。程よく味わい、程よく知ること。日常の美術鑑賞において、わたしたちが取っているのはこの三番目の態度であろう。
 この論考が拠って立つのは、いうまでもなく二番目の「知る」という態度である。精神分析は、人が知らずにおこなっていることの真の動機について明らかにするための、今日考えられ得る最善の理論と経験を蓄えている。この「知る」という行為の特徴は、一つ一つ積み重ねてゆく「部分知」であり、宗教や統一理論が目指すような「全体知」や「包括知」ではないということである。その意味で精神分析の知は、地道な積み重ねによって成立してゆく「経験知」として成立している。
 精神分析は、得られた経験を蓄積し、経験から知を抽出し、得られた知を理論化し、その理論によって「何が何を欲望しているのか」という欲望のベクトルを解析してゆく。したがって直感的に作品固有の世界を味わいたいと思っている人や純粋に作品そのものを楽しみたいと望んでいる人にとっては、精神分析は単なる理屈に過ぎないと感じられるだろう。その意味では、この稿で見てきたベクシンスキの作品に関する精神分析的な考察は極めて味気ないものである。
 一方、徹底して作家や作品の謎を知りたい、解明したいと望んでいる人にとっては、精神分析は一つの確かな方法を提供してくれるだろう。精神分析は、大げさないい方をすれば、人類が創り出してきたあらゆる文化、文明がすべて「症状 symptome」であるという立場を取っており、その射程は芸術のみならず、政治、経済、宗教、哲学、文学、科学など、人間の創造活動全般に及んでいる。したがって、人類が人類であることのそもそもの原因を「知る」ためには不可欠な方法論となる。
 たとえば、天才的なシェフの料理を味わう幸運に巡り合えた時、わたしたちは運ばれてきた一品一品を味わいながら至福の時間を過ごすことができるだろう。シェフの経歴、厳選された食材、独自の調理法等々、話題にすればその興味は尽きることがない。しかし、実際にわたしたちが体験している肝心の「味」そのものは永遠に言葉に変換することはできない。つまり異次元同士はどこまで行っても交わることがない。「知る」と「味わう」はこれほどまでにかけ離れている。食する者にとって「味」という確かな実感があれば、経歴や食材や調理法などの蘊蓄は二次的なものになる。シェフの仕事は、ただひたすら極上の料理に魂を捧げることである。ベクシンスキは次のようにいう。

「きわめて単純に言って、私がずっと以前から努力しているのは、美しい絵を描くことだ。もちろん、あなたはこうした希求をこびている態度であると取るだろう。けれども、唯一大切なこと、唯一本質的なこと、それは美しい絵を描くことだ。それ以下ではない。」(24)

 あらゆる意味づけを排して創作に専念するベクシンスキの姿は、まさに天才シェフの姿そのものである。彼は、死を意味する様々なイメージを描きながら、実は形式に専念してこそ初めて美しい絵が生まれるのだ、という究極の逆説的真理をわたしたちに教え続けているのである。





1,ベクシンスキ「ベクシンスキへのインタヴュー」, 『ベクシンスキ作品集成 I』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
2,ベクシンスキ「ベクシンスキのドローイング/デッサンについて」,『ベクシンスキ作品集成 III』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
3,カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio, 1571- 1610)は、イタリア・ミラノ生まれの画家、バロック絵画の先駆者。連作である『聖パウロの改宗』は1600年に描かれた。ベクシンスキのいう「聖パウロのような光」とは、キリストを迫害するパリサイ派であったパウロが、キリスト教徒を弾圧するために指揮官としてダマスカスへ向かっている途中に、突如天からの光を受け、イエスの声を聴き、ダマスカスへ到着して洗礼を受けた、という聖書の中の件に出てくる。興味深いことに、この光を受けたあと、パウロは一時的に目が見えなくなった、という。ベクシンスキの一連の作品はこの体験の後、サド-マゾヒスティックな様相を帯びてくることになる。
4,ベクシンスキ「ベクシンスキへのインタヴュー」,『ベクシンスキ作品集成 III』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
5,J.Lacan : Remarque sur le rapport de Daniel Lagache, Ecrits, Seuil, 1966, p.668.
6,ベクシンスキ「ベクシンスキのドローイング/デッサンについて」, 『ベクシンスキ作品集成 III』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
7,ベクシンスキ, 同書.
8.J.Lacan : Kant avec Sade, Ecrits, Seuil, 1966, p.775.
9,アンナ=カーニャサイ「ズジスワフ・ベクシンスキ 3」『ベクシンスキ作品集成 III』、エディシオン・トレヴィル, 2010年.
10,ベクシンスキ「ベクシンスキのドローイング/デッサンについて」, 『ベクシンスキ作品集成 III』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
11,同書.
12,ベクシンスキ「ベクシンスキへのインタヴュー」, 『ベクシンスキ作品集成 III』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
13,ベクシンスキ「ベクシンスキへのインタヴュー」, 『ベクシンスキ作品集成 I』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
14,興味深いことに強迫的なファルスへの拘りはベクシンスキの食習慣のなかにも認められる。「聖パウロのような光」を見た35歳頃より、彼は明らかに男性器を象徴するようなフランクフルトソーセージ1本(ペニス)とジャガイモ2個(睾丸)という組み合わせの食事を強迫的に反復している。彼はドモホフスキに宛てた1985年7月7日付の私信のなかで次のように述べている。「ー20年来、私は毎食事に、フランクフルトソーセージ1本とじゃがいも2個を食べている。この習慣を変えることを思うと、不安になる」。
15,フランスの女性思想家でデリダの親友でもあるエレーヌ・シクスーは、女性にとっての去勢とは断頭つまり「お喋りする頭を切断すること」であると述べている。彼女は「性器か頭か」と題された論文のなかで、この事態を「断頭コンプレックスを通して女性は象徴の世界へ参入する」と表現した。マゾヒスティックなベクシンスキは心的には女性のポジションを取っており、防衛機制の一つとしてこのような断頭コンプレックス的表現が出現し得る。
16,Sigmund Freud, Remembering, Repeating And Working-Through, The Standard Edition Of The Complete Psychological Works, Volume XII, The Horgarth Press, 1958. pp.148.
17,ベクシンスキ「ベクシンスキへのインタヴュー」, 『ベクシンスキ作品集成 III』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
18,ラプランシュ/ポンタリス『精神分析用語辞典』、みすず書房, 1977年, 22頁.
19,Sigmund Freud, Remembering, Repeating And Working-Through, The Standard Edition Of The Complete Psychological Works, Volume XII, The Horgarth Press, 1958. pp.149-150.
20,ベクシンスキ「心の中に、瞼の裏にみつける」「夢を撮る」,「ベクシンスキへのインタヴュー」, 『ベクシンスキ作品集成 III』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.
21,ベクシンスキ「ベクシンスキのドローイング/デッサンについて」, 『ベクシンスキ作品集成 III』、エディシオン・トレヴィル, 2010年.
22,ダニエル・ウィルレット他『バイオマニエリズム』, エディシオン・トレヴィル, 1997年.
23,皮膚に切開や切除を施して瘢痕 scar を作り、レリーフ状の意匠や文様を描き出す技法.
24,ベクシンスキ「ベクシンスキへのインタヴュー」,『ベクシンスキ作品集成 III』, エディシオン・トレヴィル, 2010年.



『ベクシンスキ作品集成II』、エディシオン・トレヴィル、2010年12月、エッセイとして所収



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